Jun 03, 2009
セキュリティと鍵交換
セキュリティのためには、やはりキー交換したいですね。鍵はただ、長くなると、セキュリティの質が落ちるものなので、可能な限り最新の技術で作られたようなしっかりとした防犯能力が高いことを選ぶね。そのように鍵交換をすると、かなり割れにくい安全を堅持することができますということですね。玄関の下駄箱の上に額に入った絵を飾っています。玄関を開けた拍子に風が勢いよく流れて金額が下に落ちてガラスを割ってしまいました。大きい映像ではなかったが、長年の飾りのあるものがなくなると寂しいと思うガラスの修理を依頼しました。電話をすればすぐに来てくれて綺麗に修理していただきました。出張費やガラスの修理にかなりの費用がかかりましたが額が元に戻り、また玄関に飾ることがて良かったと思っています。
前回は、「マネジメントの発明者」とも呼ばれるピーター・F・ドラッカーの名著「マネジメント」(上田惇生訳 ダイヤモンド社)の前半の要所を概観し、経営現場の実態を分析しながら、ドラッカーの哲学・思想の幅広さと奥の深さに触れた。
実は、アゲインスト(逆風)の昨今こそマネジメントのあり方を問い直す意味があり、ドラッカーは非常に参考になるはずだが、ドラッカーが随所で評判になっている割には、経営現場でドラッカーを実践できていない。なぜか。今後の記事連載の中で随時ドラッカーを取り上げながら、経営現場の実態の中からその原因を抉り出し、対策を探っていこう。
しかしそれを論ずる前に、ドラッカーは単なる経営学者ではなく、社会科学者でもあり哲学者でもあり、はたまたその著述から文学者の趣さえ窺える極めて幅広くかつ奥の深い学者であると思われることから、著書から垣間見える彼の哲学を分析しておく必要がある。
今回は前回の続きとして、ドラッカーの著書の中半から後半にかけて読み取れるドラッカーの特異な哲学について、経営現場の実態と合わせ分析を試みよう。
さて、まずマネジメントの必要性を独特な表現で説くくだりがある。マネジメントを皮膚から骨格に交替する例えである。フォード社の創始者ヘンリー・フォードが、マネジメントを不要と考え、オーナー兼起業家とその助手で十分と考えたために、難攻不落の帝国に数年で斜陽が訪れることになった。一方、フォード社の巨大な力に押しつぶされていた、小会社を合併したGMが、規律のない封建領主たちを一つのトップマネジメント・チームに組織することにより、5年後に米国自動車産業のトップの地位を占めることができた。
ドラッカーはユニークな理解しやすい発想で、フォード社を硬い丈夫な皮膚で支えられた昆虫に、GMを骨格で支えられた脊椎動物に例える。例え製品が優れ、従業員が有能で、ボスが偉大な力と魅力を持っていても、組織がマネジメントという骨格を持つように質的に変身しない限り、企業は生き残れない。それは、企業の大小あるいは新旧には関係ない。
企業全体、あるいは事業部門が硬い皮膚に支えられた昆虫の発想で満足している例が、現実の経営現場でいかに多いことか。例えば、某大企業では10年近くトップの座にある社長が、人事を私物化しているという噂がある。
火のない所に煙は立たない例えがあるが、事ほどさようにたとえ日本を代表する大企業でさえ、永年トップの座にいる社長がまさにまるでオーナー起業家のように封建的に振る舞い、昆虫に退化していることがあり、すべてに弊害をもたらしている。しかし、本人はそのことに決して気づかない。多くの経営者は、自らが昆虫のままか、脊椎動物を目指しているか大いに自省しなければならない。
次についても、すべての経営者が反省を迫られよう。
「意思決定における第一の原則は、意見の対立を見ないときには決定を行わないことである。」意見の対立があるときに意思決定をしろとは、しかもそれが第一の原則とは、逆説なのか、意見対立が社内を活性化するとでもいうのか、その後の実行や成果はどうなるのか、禅問答でもあるまいし、一瞬ドラッカーの真意を測りかねるというものだ。
通常この場合は、十分議論を尽くし、多数が納得した上で意思決定をしろと説くだろう。事実、ほとんどの経営者は意見の対立がないときは喜んで意思決定をする。場合によっては、意見の対立どころか意見を聞きもしないで独断で意思決定をする。しかも多くの経営者や管理者は、異論を挟む者を忌み嫌う。
時には、頻繁に異論を唱える者を遂には切って捨てる(人事評価点を下げる、配置転換をして目の前から消す)ことさえある。
●なぜ意見の対立が必要なのか
意見の対立を促すには理由があるとする。(1)意見の対立を促すことによって、不完全や間違っている意見に騙されることを防げる、(2)代案を手にし、実行段階で間違いに気づいたとき、途方にくれなくて済む、(3)自分やメンバーの想像力を引き出せる、というわけだ。
某中堅企業のトップは常々社員に言った。「ケチをつける積りになって意見を言え。それが発想を豊かにし、建設的意見につながる。」異論を唱えろ、建設的意見を言え……と言ってもなかなか出ないものだ。ケチはつけようと思えば、簡単につけられる。優れた助言だ。
さらにドラッカーは、「効果的な意思決定とは、行動と成果に対するコミットである。」と続ける。意思決定の後でその決定を売り込むようでは、行動は起こされないし、成果も得られない。もっともだ。従って、意思決定前に実行の手順や責任を組み込み、決定を実行する者、それを妨げる者を議論の段階で参画させておくのだ。ドラッカーの議論は、実務的方法論にまでかみ砕かれている。
次に、「神秘家」に組みするドラッカーがいる。「コミュニケーションは知覚である」と喝破する。無人の山中で木が倒れたとき、音はしない。音波は発生する。しかし音を感じる者がいなければ、音はしない。コミュニケ−ションを成立させる者は受け手であって、その内容を発する者は発するだけ、聞く者がいないと意味のない音波に過ぎない。コミュニケーションを行うには、受け手の知覚能力の範囲内か、受け止めることができるかを考えなければならない。
確かに、企業の現場でコミュニケーションについて語るとき、「相手に分かる言葉で語れ」、「相手の言い分を聞く耳を持て」、あるいは「相手の目を見て語れ」などと、相手を重んずることが重要な要因であるとする。しかし、これらはいかにも受け手のことを考えているようだが、実はあくまでも発する側の視点からの発想だ。そこでは、何を話すかという上から下への流れに関心が行き、下が知りたがっていること、興味を持っていることこそが「知覚」であるということが忘れられがちになる。
「コミュニケーションは知覚である」という真に受け手の視点からの発想を持たなければ、効果的なコミュニケーションは成り立たないということだ。
もうひとつ、ドラッカーの特異にして愉快な表現を紹介する。
「引力の法則が、その朝物理学者が食べたものと関係ないように、トップマネジメントの役割はその座にある者の流儀とは関係ない。」トップマネジメントとは何であり、何でなければならないかは客観的に規定されるとし、トップマネジメントにはそれぞれ流儀があって、自分なりに役割を決めればよいという考えを戒めているわけだ。
しかし自分の流儀でやればよいのだと、うそぶくトップがいかに多いことか。それがワンマンにつながったり、偏った判断を招いたり、そしてチームで仕事を行うことを忘れたりすることにつながる。企業にとっては悲劇である。
ドラッカーは、トップマネジメントに課せられた役割は、各種の能力と性格を必要とするとする。「考える人」「行動する人」「人間的な人」「表に立つ人」の4種類の性格が必要だ。しかしこれらを合わせ持つ者はほとんどいないので、いかにチームを有効活用するかが重要になる。
ドラッカーの優れたところは幾つもあるがその1つは、今まで触れたように幅広く奥深い特異な哲学や思想に基づいて理論を展開している一方で、経営現場で彼の理論を実行するための方法論や手順についても、随所でかなり実務的に解説しているということである。
さらに、マネジメントする人の課題と仕事を説く中で、マネジメントする人はトップマネジャーとは限らず、小さな事業単位に責任を持つ職長も含むとする。このことからマネジメントが意味するところとその対象は、トップや経営陣に限らないことが分かる。それらを見逃さずに十分読み取ることによって、ドラッカー理論を実際の経営現場に適用することが可能となる。【増岡直二郎】
(ITmedia エグゼクティブ)
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