Mar 14, 2010
レシピがコピー用紙に印刷します
料理レシピをPCで検索して、作ってみたいレシピが発見されると、コピー用紙に印刷します。そのままパソコンを台所にいてみることも良いかもしれないが、キッチンなので、PCに水がかかることを恐れてしまいます。コピー用紙に印刷すると、水がかかっても破損したり、インクがにじむ程度かかりますので、それ以上の使用にも便利です。我が家では、A4サイズのコピー用紙を常備しています。プリンタのコピーを行う際にも使用して、それをFAX用紙として使用することができます。コピー用紙を大量に購入すれば、その分お値段も高くないので、子供のお絵かき用紙に使用することもできます。子供が小学生になってから宿題とディストリビューションをコピーする機会が多くなったこともあり、コピー用紙を常備している量も増えてきました。
「私がA級戦犯だ。大阪維新の会への流れをはねのけられず、逆風の中での選挙戦を強いてしまった」
25日未明、辞意を表明した民主党の樽床伸二・大阪府連代表は、前半戦に続く厳しい選挙結果を、淡々とした表情で振り返った。
党府連の事務所(大阪市中央区)で開かれた記者会見で、樽床氏は、辞任の意向について「(前半戦の投開票日の)今月10日には固めていた」と明かし、その理由を「(獲得議席が)私の目標と倍以上離れていた。判断が甘かった」とした。
今後は、大阪市長選と、橋下知事がダブル選をもくろむ府知事選に向けた体制の立て直しが急務となるが、樽床氏は、府連の対応について「今ここで確定的なことを言える状況ではない」と明言を避けた。
兵庫県三木市議選は24日、三木勤労者体育センターで即日開票され、新市議18人が決まった。薮本吉秀市長が立ち上げた地域政党「三木新党8人のサムライ」の登場で、市長派と反市長派が戦う構図が色濃くなった今回の選挙戦。三木新党や無所属などの市長派がどれだけ議席を増やすかに注目が集まった。
今回の選挙には現職16人、新人8人、元職1人が立候補。議員の定数削減などの議会改革を訴える市長派と二元代表制の崩壊を危惧する反市長派が衝突し、存廃の議論が続く神戸電鉄粟生(あお)線の問題などが争点に浮上した。投票率は55.91%(前回60.58%)と前回を下回った。
当選の知らせを受けた選挙事務所では、詰めかけた支持者から大きな歓声や拍手がわき起こった。三木新党から出馬し、当選した初田稔さん(58)は「4年間の活動と党の考えを市民に認めていただけた」と笑顔を浮かべた。
8人を擁立し、6人当選と躍進した三木新党代表の薮本市長は深夜に市役所で会見。「党としての考え方に市民の理解を得られたと思う。議会を政策集団に変えたい」と党の躍進に喜びの声を上げた。
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当 104,328丹羽 秀樹《2》自元
39,308川村 昌代 諸新
14,369河江 明美 共新
7,932福原真由美 諸新
3,842目片 文夫 無新
【注】《 》は当選回数。以下、党派、新旧。党派は、自=自民、共=共産、諸=諸派、無=無所属。
東日本大震災で被災した岩手県宮古市中心部の商店街が窮地に立たされている。多くの店舗が津波で全半壊し、在庫も海水につかって売り物にならなくなった。商圏である沿岸部の近隣自治体も壊滅的な被害を受けた。商店主の高齢化も加わり、廃業と存続のはざまで悩む人も多い。【川口裕之】
震災前の宮古市は人口約5万9000人の中規模都市。東京23区の倍の面積があり、商圏は広い。商店街はJR宮古駅前から宮古市役所近くまでの800メートルほどの間に、約130店が並ぶ。駅寄りの約70店が「末広町商店街振興組合」、市役所寄りの約50店が「中央通商店街振興組合」を構成している。
大津波の被害を受けて海に近い中央通商店街のほとんどが全壊、末広町商店街も多くが半壊した。中央通商店街では3人が犠牲になった。シャッターがゆがみ、ガラスが割れた店舗やがれきが残ったままの店舗が並ぶ。「解体してください」「しばらく移転します」といった張り紙が目立つ。営業を再開している店舗はほとんどない。
中央通商店街で靴店を経営する佐藤功さん(50)はあの日、店舗2階で遅い昼食の最中、大きな揺れに襲われた。揺れがおさまり、商品が散乱した店を片付けようと思った時、大津波警報の発令を携帯電話のメールで知った。従業員を帰宅させてシャッターを閉め、高齢の父と高台の自宅へ車で避難した。
「ひざまでの津波なら、商品の半分はだめになるな」。そんな気持ちで自宅から様子をうかがった。だが、海の方からは自動車や船が津波で流れてくる。店舗は結局、1階の天井近くまで津波につかった。ぼうぜんとした。
水がひいた店舗は、石油のにおいが鼻を突き、自動車がシャッターに突っ込んでいた。店舗や倉庫の在庫2000万円分が売り物にならなくなった。商品やがれきが散乱し、何から手を付ければいいのか分からなかった。宮古駅前のショッピングセンターにある支店で営業再開するまで1週間かかった。
壊れた店舗をどうするかは、まだ決められない。どのような公的支援があるか見えず、「多額の投資をして店舗を再建しても、経営が成り立つのか」と不安が膨らむ。
今月15日、震災後初めて開催した中央通商店街振興組合の役員会。出席した15人の商店主が再建の方策を話し合った。「商売を続けるのが不安だ」「建物を解体した後はどうすればいいのか」と訴える声が上がったが、方向性は見いだせなかった。
同商店街は国の補助を受け、93年に街路灯やブロック敷きの歩道を整備した。衰退が進む商店街の再起を目指し、船の帆をイメージしたしゃれたデザインの街路灯も今回の津波でなぎ倒された。総事業費2億4500万円のうち、残る1000万円の返済が商店街にのしかかる。
高橋雅之理事長は「このままでは商店街が歯抜けになってしまう」と危惧する。商店主の大半が60歳代で後継者のいない店も多い。利用客の高齢化も進んでいた。津波は宮古市田老地区や山田町、田野畑村にも大きな被害を与えている。商圏人口自体が大幅に減少する可能性もある。
商店街振興組合の専務理事も務める佐藤さんは「人口増や景気回復が見込めない中での復興は厳しい。商店街として『一緒にがんばっぺし(頑張ろう)』とは言えない」と思い悩む。
少し山手にある末広町商店街では、今月中旬までに43店が営業を再開したが、10店ほどは再開の見通しが立っていない。手芸店を経営する女性(65)は店舗1階が浸水、毛糸や反物など在庫の半分以上が水につかり、廃棄した。3月末に営業を再開して残った商品を販売しているが「品ぞろえが大切だが、新たに買いそろえるにも資金繰りが大変。今ある在庫を処分したら、店を続けるかどうかじっくり考えたい」と胸の内を明かす。
復興に向けて一歩を踏み出している人もいる。中央通商店街で婦人服店を営む男性(68)は、今月中旬から商店街近くの自宅で営業を再開した。「大丈夫だった?」と言葉をかけてくれるなじみ客の心遣いが胸に染みる。「お客さんに報いるためにも商売を頑張らないといけない」。男性は一日でも早く全壊した店舗を再建するつもりだ。
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