Nov 15, 2009
水漏れを修理して管理人
405号室の住人で、管理人室に水漏れの連絡があった。私は、405号室に行ってみると、トイレ、蛇口から勢いよく水があふれ出ていた。慌てた様子の住民は、"どうすればよい"と叫んでいる。管理人室からの用具を持って来て、蛇口のナットを締めて、水漏れはぴったりだった。住民の感謝の声を聞いても、私は405号室を後にした。ウォーターサーバーを持ってスタートしてすぐに切り替えると、良かったと思っています。今までペットボトルゴミだらけになっていました。そして、買い物も、重いものを運ぶいたが、ウォーターサーバーの家まで持ってくれるので、本当に楽ですさらに、水に出てくるので、いちいち煮沸していた時代に戻ることはできません。感謝
6月もきょうまで。5日の梅雨入り後、活発な梅雨前線の影響で、豪雨・長雨が続いた県内。長崎市では1〜28日の総雨量が771・5ミリとなり、6月としては戦後最多、観測史上4番目の雨量となった。【梅田啓祐】
◇崖崩れなどの被害相次ぐ
長崎海洋気象台によると、同市の6月の降水量の平年値は314・6ミリで、今年はその2倍超。これまでの戦後最多雨量は1954年6月の749・1ミリで、57年ぶりに記録を塗り替えた。一番多く降ったのは「12日」で218ミリを記録した。
県内各地の6月総雨量は、多い順に▽雲仙岳1159ミリ▽島原市で905ミリ▽南島原市で781ミリ−−で、島原半島での雨量増が目立った。雲仙岳は28日現在、93年6月の1164ミリに次ぐ、戦後2番目の記録。
県内ではこうした大雨により、崖崩れなどの被害も相次いだ。県危機管理課のまとめで、10日から21日にかけての県内の被害は▽崖崩れ95件▽住宅損壊15棟(床下浸水1棟、住宅半壊1棟、家屋の一部損壊13棟)。雲仙市では1人が重傷を負った。
◇除湿機や除湿剤、売れ行き大幅増
家庭では湿気対策に追われる6月となった。
長崎市の家電量販店やホームセンターでは、除湿機や除湿剤などが、既に前年同月を大幅に上回る勢いで売れている。
ベスト電器長崎本店では除湿機や布団乾燥機、扇風機の売れ行きが20日ごろから伸び、品切れも目立ち始めた。除湿機の売り上げ台数は前年比で3倍以上を記録。同店の吉岡亮さん(31)は「大量に入荷してもすぐに売れます」と複雑な表情だった。売れ筋の価格帯は2万〜5万円で、衣類の部屋干し機能付きが主婦層に人気という。
また、ホームセンターのナフコ東長崎店では、除湿剤や雨傘がよく売れている。同店担当者は「昨年比で2〜3倍の売れ行き。除湿剤を箱買いする人も珍しくありません」と話している。
〔長崎版〕
6月30日朝刊
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朝7時前、佐世保の台所とも呼ばれる戸尾(とのお)市場。壕(ごう)の岩に沿って八百屋や鮮魚店など十数件が軒を連ねる。本田蒲鉾店は、本田容子さん(59)が店のシャッターを開けて一日が始まる。午前中は天ぷらやアジ棒、すり身揚げなど揚げ物を中心に作る。せわしい作業に追われながら、小学生や知り合いが通ると「おはよう!いってらっしゃい」。朝の空気に声が弾む。
防空壕をそのまま利用した工場兼売り場で、奥に進むと天井が低く、道幅も細くなる。最深部は夏でもひんやり涼しい。
創業90年余。容子さんの夫富男さん(57)は3代目だ。2代目・武男さん(81)は数年前に体調を崩し、壕を離れた。66年前の28日深夜、母から「空襲!」とたたき起こされ、当時家があった上京町から着の身着のままここへ全速力で逃げ込んだ。「それは怖かった。家の前のお寺も、周りはほとんど火が上がっていた」。壕には負傷者も運ばれていた。入り口から街が焼けるのを見続けた。幸い、親族や友人に犠牲者はいなかったが、翌朝、近くの遊郭があった場所には、多くの遺体が転がっていた。とても暑い朝だった。
戦後しばらくして、壕に売り場も工場も移した。それまでは上京町の実家で作り、壕の前で売っていた。「戦中はこの中で遊んだ。働きだしてここに住んだ時期もあった。壕とともに生きてきたんです」と武男さん。今のところ、富男さんの後継者はなく「寂しかですね」。【野呂賢治】
〔長崎版〕
6月30日朝刊
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◇遺族ら150人
佐世保空襲の犠牲者追悼式が29日、佐世保市民会館であり、遺族ら約150人が参列し、冥福を祈り、平和への思いを新たにした。
佐世保空襲は66年前の1945年6月28日深夜から29日未明にかけ、141機の米軍爆撃機が佐世保市中心部に約1000トンの焼夷(しょうい)弾を投下し、1228人が亡くなったとされる。
式は午前10時、市内一円に鳴らされたサイレンに合わせ、黙とうで始まった。当時6歳で空襲に遭い、祖母を亡くした松持展子さん(72)が遺族代表として「弱い者しかいない佐世保の街をなぜ焼き払ったのか。なぜ、やいばを向けたのか。私は今もって本当のことは分かりません」と当時の悲惨な記憶とともに、戦争の愚かさを述べた。同市立祇園小学校の児童代表3人も参列し、平和学習の一環で全校児童で折った千羽鶴を、白菊とともに献花台にささげた。【野呂賢治】
〔長崎版〕
6月30日朝刊
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